この小説は9話からなっており、それぞれに車が出てくる。 と言うか、主人公の車の遍歴と、その車に乗っていたときの人との出会いや彼女のことが書いてある。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 文庫本のあとがきには、こんなふうに書いてあった。 「僕は今でもこの物語の中に出てくる何台かの車を、自分で走らせている。」1988年の夏のことである。もう24年も前のことになるが、 まだステアリングを握ることはあるのだろうか。 話は飛ぶが、かのSAABは昨年[2011年]の暮れに破産した。 当初は航空機会社の一部門であったが、1990年にGMの出資を受けてサーブ・オート・モービルという単独の会社となる。その後の経緯もあるが、もうSAABの新車を見ることはないのだろう。 さて、作者は言う。 「ここにおさめられた物語は、全てくり返す出会いと別れについてのストーリーであって、それ以上でもなければ、それ以下でもない。 別れがあればこそ出会いもあるのだ、さよならだけが人生でもあるまい、と、苦笑しながらぼくはこれを書いた。これは過ぎ去った時代を懐かしむ歌でも、青春を弔う物語でもない。ぼくはそれを、ある時代に贈る言葉として差し出したつもりである。」と。 そんな作者の思惑とは異なって、僕が紹介すると「過ぎ去った時代を懐かしむ歌」になってしまった。まぁ、力量の違いだから仕方のないことだが。 僕も何台かの車に乗ったが、いまは仕事の時だけしか運転しなくなった。都内に行くときなど、なるべく電車で出かけるようになった。 それは歳を取ったと言うより、物事に感動したり、ワクワクすることが滅多になくなったからに他ならない。もっとも、それが歳を取ったと言うことかも知れないが。 人によっては、いくつになっても青春を保ち続けていられるかもしれない。それが若さの秘訣なのだろう。 僕はそんなことはすっかり忘れて、今年の夏には孫二人のジージとなり、秋口には孫が3人となる。身も心もジィさんになったなぁと実感する今日この頃である。 だからこそ、「青春を懐かしむ歌」になってしまうんだろうなぁ... 雨の日どころか、もう随分車をみがいていないのであった。 |
Data:雨の日には車をみがいて(昭和63年6月角川書店刊) |
角川文庫「い-07-02」、平成2年9月25日発行 |
平成2年→1990年 |