雨の日には[2004/06/20・Vol.09 SAAB 96S]



白樺のエンブレム...

 それから時が過ぎていった。
僕はいつの間にか車に乗らなくなってしまった。ただ生きること、仕事をすること、そんなことだけでエネルギーの大半を使いはたしてしまい、他のことをかえりみる心のゆとりが失われてしまっていた。

 そんな時テレビで見た番組は、ストックホルムの夏至祭−ミッド・ソンマル−だった。その祭りの後に、ほんの短い北欧の夏が訪れるのだ。
 昔は、夏至祭が近づくと、ストックホルムを走るいろいろな車が、皆一斉に鼻先に白樺の小枝を飾っていたらしい。バスもトラックも定期客船も、白樺の小枝を飾るのだ。
 なんと優雅な習わしだろう。しかしそれも昔のことで、今は観光客相手のショーとなり、市民よりも多い観光客でごった返していた。

 そんな中で目を引いたのは、ブルーのサーブ96Sだった。ちゃんとラジエーターグリルに《白樺のエンブレム》が飾られている。
 この車をエリック・カールソンが運転し、RCAラリー三連覇、モンテカルロでも二連勝しサーブ神話を作り上げたのは、いまや60年代の伝説だ。
 2ストロークの3気筒エンジン、わずか52馬力の丸っこいボディーライン。僕は免許を持つ前から憧れていて、この96Sが手に入ったら、それで自分のカーライフは幕を閉じてもいい、とさえ思ったほどだった。

 そんなテレビ番組を見た翌日、僕は久しぶりに車を運転してみようと思った。もう車を所有していなかった僕は、小さな国産車をレンタルし、東名高速を西に向かった。ミッドソンマルには会えないけど、北欧を思わせる場所がある。
 もう、何年前かも忘れてしまうほど昔、そう、あの時に乗っていたのはBLUE BIRD 910 SSS だった。
 あの海沿いのホテルに行ってみよう。まだ、夏至祭には早いけれど...



 今回で「雨の日には」シリーズは終了です。もとは、五木寛之の『雨の日には車をみがいて』と言う小説で、その紹介を創作も混ぜて書いてみました。
 全部で9つの短編からなるこの小説は、作者の車の遍歴そのものだそうです。書かれたのは1988年で、その当時まだ何台かを実際に走らせていたらしいとのこと。
 それから16年、作者は今はお寺周りに忙しく、車どころではないのかな...