その女(ひと)は、いつも猫をつれていた。先輩の翻訳家Kが言った。 「猫好きの女は気をつけた方がいい。」 「気持ちがクルクルかわるんだ」 と訳有りに忠告する。 しかし、僕は黙殺した。それはバイエルンからやってきた貴婦人のようなクーペに、あまりにもぴったりの女性だったからだ。 僕は冗談で言った。 「君が僕を気に入っていると言うより、 その猫がこの車を気に入ってるようだね」 まるで『白いヨット』みたいなBMW2000CSは、流れるような低いウェストラインだ。前後の窓をおろすと、センターのピラーが完全に消えてなくなった。まるでサンルームのような車内で、彼女の膝の上に乗る優雅なドライブをその猫は好んだ。僕らは、横浜、湘南、房総などいつも海の見える道を走った。 ある日、彼女は初めて猫を連れてこなかった。そして、海の見えないドライブに行こうという。行き先は軽井沢。 旧道の碓氷峠をセカンドとサードを交互に使いながら登っていくと、後ろから来たトヨタ1600GTが強引な追い越しをかけてきた。僕はムッとして、身の程知らずの黄色い国産車を引き離すべくアクセルを踏み込んだ。 「あの野郎、まだついてくるきだな」 ライトを上向きにしてトヨタは乱暴に追い上げてくる。 僕はセカンドをフルに使う。 しかし、嘲笑うように追いかけてくる。僕は、必死に手足を動かしていた。 「ちくしょう!」 「もっと速く走らないと」 「えっ?」 「これじゃ後ろの車に馬鹿にされるわ。 あなたの運転がおとなしすぎるんじゃないかしら。 かわっていただける?」 僕は唖然としたが、うなずいて席を替わった。彼女は窓を開け、まるで相手を誘うように、ヒラヒラと手を振った。 それから15分とたたないうちに、黄色い国産車は見えなくなってしまった。 僕はかなりのショックを受けたが、それよりも気分が悪く、言葉がでなかった。 翌日、彼女は手紙を残して消えてしまった。 〈昨日はごめんなさい。 私はドイツ留学のときお付き合いした男性に、 ベットマナーと2000CSの運転を教え込まれました。 それも徹底的に。 車も女も優しいだけでなく、時に激しく、 情熱的に扱うべきだと、 あなたにわかってほしかったのです〉 そして、彼女とは二度と会うことはなかった。 |