1976年の夏の始め、僕は思いがけない車を手に入れた。生まれて初めて所有したフランスの大衆車、SIMCA1000だった。 その日はひどい夕立で、傘を持っていなかった僕は、中古車センターの脇で雨宿りをしていた。何気なく目に入ったのは、強い雨足に打たれた弁当箱のような小さなセダン。蛙のようなヘッドランプは、まるで夕立に肩をすくめるように僕を見つめていた。 免許を取ったばかりの僕は、寂しそうなシムカが忘れられず、何度も中古車センターへ足を運んだ。けっして派手でもないし、カッコ良くもない。そんなシムカが自分に似ているようで、そのハンドルを握ることを夢見ていた。 冬の始めのある日、僕にも幸運が巡ってきた。正社員として雇ってもらえることになったのだ。たとえ少なくても安定した収入があれば、ローンを組むことができる。僕は36万円のシムカを手に入れることにしたのだった。 その当時、瑤子という女友達がいた。僕が、彼女を本当に愛していたかどうかはわからない。けれど、彼女が他の男と仲良くしているのはいやだったし、他の女の子には興味がなかった。 僕は愛車をニコライ堂の脇の道路に止め、彼女を待っていた。あちこちロケハンした上で決めた場所だ。ギリシャ教会建築の曲線的なたたずまいと、ボクシーなシムカは今ひとつしっくりこなかった。でも、周囲の背景を切り取ってみれば、かなりエキゾチックな雰囲気の舞台だったろう。 僕たちは、アクセルを踏みこんでも70Kmしかでないシムカで横浜へ向かった。〈スカンディア〉で食事をし、中華街の〈レッド・シューズ〉に少しいて、大桟橋の方へ車を走らせた。埠頭の先端にシムカをとめ、僕は瑤子と初めてキスをした。 「あなたの不器用なキスが好きよ」 そんな彼女の言葉は、僕を嫉妬と幸福で混乱させた。 僕は三日に一度は洗車し、せっせとワックスを掛けた。春から夏、僕は瑤子を乗せてなんどもドライブにでかけた。けれど、夏の終わりにシムカがオーバーヒートしてから、二人の間に隙間が広がっていった。秋にはいると彼女の電話は、何度かけても応答がなかった。雨粒が歩道をたたく神宮外苑、落葉の道を僕は一人で走った。それから、シムカにはいつも一人で乗った。 その年の暮れ、シムカは走ることをやめた。なんとエンジンブロックに穴があいてしまったのだ。車だけではなかった。僕の胸にも、大きな穴があいていた。 そして年が変わると、僕は新しい車を探し始めた。 |