「こわいものが、なくなっちゃった」とは、中川画伯93歳の言である。その時「いまがいちばん仕事のできるとき」とも言ったそうだ。また、神奈川県の真鶴半島、福浦港岸壁で20年間、絵を描き続けた。そんな中川一政は、女優中川あんなの祖父でもある。 さて、真鶴半島とは近くて遠いところだ。と言うのは、東京から行けば、東名を厚木で降り、小田原厚木道路へ入る。小田原西まで行ってもいいが、大磯で降り西湘バイパスへ入ると海沿いを走るので、こちらの方がお薦めだ。小田原を過ぎ、真鶴有料道路に入ってしまうと半島を通り越してしまうのでご注意。こう書けば、たいして時間がかからないことがわかっていだけるだろう。しかし、夏の土日は大変なのだ。下りはそうでもないが、上りは10Kmの渋滞は当たり前である。伊豆半島からの帰り車が多いので、仕方がないのだ。海沿いを走るか、箱根ターンパイクで尾根を走るしか道はない。普段なら10分で走れる道も、渋滞30分は当たり前となってしまう。だから、近くて遠いところなのだ。 僕が20数年前に、ダイビングの海洋実習を行ったのが真鶴半島だった。その時は、ダイビングの規制もあまりなく、半島の西側の石切場と言う海岸だった。しかし、今は東側の琴ヶ浜しかダイビングスポットはない。心ないダイバーがサザエやアワビを乱獲したために規制されたと聞いている。 琴ヶ浜は、ダイブマスターの講習で何度も行った。この講習はかなりハードだった。と言うより、ダイビングショップの無報酬アシスタントと言った方が当たっていたかも知れない。朝は6時頃に集合し、タンク(ボンベ)やウェイトなどを準備する。ウェイトは、ふつう体重の1/10くらいが目安となる。このくらいつけないと沈まない。ウェットスーツ自体にかなりの浮力がある。タンクは、海中では浮力がほぼゼロになる。これらの準備が終わるころ、お客さんたちが集まってくる。お客さんとは、ファンダイビングを楽しむ卒業生や、ダイビング自体始めての講習生達である。少ないときでも10人くらい、多いときは20人を超えた。ダイブマスターの講習は、この初心者講習のアシスタントやファンダイビングのガイド、そしてレスキューなどだ。東京に帰ってきてから反省会を行い、全て終了するのはいつも12時を過ぎる。ほぼ18時間労働となるのであった。当時の体重は58Kgで、腹筋も割れていた。しかし、今は見る影もない... |