週間美術館[2004/03/06・Vol.07 Pablo Picasso]



子供のように絵が描けた...

  パブロ・ピカソ[1881〜1973]は、明治14年にスペイン南部の港町マラガで生まれる。1900年パリに出て、モンマルトルで多くの芸術家と交わりつつ、次第に頭角を現す。80歳を越えても精力的に創作活動を続け、1973年に南フランスで91歳の生涯を閉じる。
 実は『ピカソ』は本名ではない。では、本名はと言うと「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ=デ=パウロ・ホアン・ネポムセーノ・マリア=デ=ロス=レメディオス・シブリアノ=デ=ラ=サンティッシマ=トリニダット」と言うのである。この中に「ピカソ」の文字はない。「Picasso」と言うのは母方の姓であるそうな。
 何しろ91年の生涯だから、語ることはいっぱいある。今回は少し側面から見てみよう。彼は子供の頃父親と共によく闘牛を見に行った。その闘牛場で、小遣い銭を稼ぐために描いた絵を売っていたとも言う。そしてその思い出なのか、晩年まで彼の絵の題材として「牛」はよくでてくるのだ。
 次に女。ピカソのそばにはいつも女性がいた。作品の中でも女性像が一番多い。女性の肖像画は彼の生涯にわたってのテーマだった。そして、あの目のごとく、愛するときも、傷つけるときも、その情熱は人一倍強かったという。一人寂しく死んでゆくフェルナンド、離婚を拒むオルガ、ピカソをサディストと非難するフランソワーズ、エピソードには事欠かない。
 そして、彼が死んでも伝説が作られる。91歳で亡くなった彼の遺産は莫大だった。4万点の作品、3つの城、2つの別荘、その他にも土地や貯金。相続税はとても現金で払えず、ピカソ法という物納による相続税まで定められたという。そのときフランス国家に納められた3,658点の作品の評価額は、なんと7,400億円にものぼったという。そして、何でもとっておく癖のあった彼の遺物の整理は現在も続けられており、調査が公開されれば、新たなピカソ伝説が作られるかもしれないのだ。