米国人作家の本を読んだ。キリスト教のある謎の解明に絵画が関連していると言う推理小説だ。本はしばらく前にでていたが、日本で映画が公開されたのはこの5月。
私は映画が好きで、良く見に行く。いろんな映画を見る。 この本も読みかけていたのだが、しばらく放置していた。 が、映画が公開される前には読み終わらなくてはと。 主人公の大学教授は、宗教象徴学が専門だ。 そして、プロローグは「ルーブル美術館の〜」で始まる。 彼も、絵画が好きらしい。美術館や展覧会にもよく行くようだ。 私も美術部で、シャガールを模写していたことがある。 ダリの展覧会に行ったのはもう随分前だが、この本を読んでいて、そんな話を彼としていたことを思い出した。 そう言えば、主人公の大学教授と彼は何となく似ているようにも思える。 決してかっこよかったり、強かったりするわけではない。 知的だけど、ちょっと気弱なとこや、年齢も近いかも知れない。 きっと、彼もこの小説が気に入るだろう。いろんな本を読んでいる人だし。 そんなことを思いながら、文庫本の上・中・下巻を買った。 もちろん、彼にプレゼントするために。 彼女から、今話題の本をもらった。少し前に話題になったベストセラーだが、映画化されたことで再脚光だ。文庫となったのも、理由の一つだろう。 ぼくはまず、本を隅々までペラペラと観察する。きっと何もないとはわかっていても、もしかしたらどこかに手書きの文字でもないかと。まぁ、何もないのだが。 小説自体は、とっても面白かった。上・中・下巻はアッという間に読み終わった。登場人物の司法警察暗号解読官の女性の小さいときが、彼女の小さいときと重なる。負けず嫌いで、嫌なものは嫌とハッキリしている小さなお姫様は、髪の毛をクルクル巻いて。 それは、この間もらった彼女の子供の頃の写真のせいかも知れない。あの写真を見てから、どうも彼女が子供っぽく見えて仕方がない。 現実の彼女も、時々子供っぽくなる。そこが可愛く思えてしまうのは、ロリコンと言うより父性愛か。 ただのエロじじぃと思われても困るけど、小さな女の子は無条件に可愛い。 回りの人たちは、彼女にそんなイメージを持っていないのか。 それは彼女が、そんな面を他の人に見せていないからかも知れない。僕だけに見せてくれるのだとしたら、とても嬉しいことだ。 大した包容力もないけれど、甘えられるのは嫌いじゃない。 彼女には、猫の本をプレゼントしよう。フランスで大成功した画家の本だ。この画家は猫が好きで、いろんな場面で猫が登場する。もちろん、猫だけの絵もある。彼女が気に入ってくれるといいのだが。 彼は、あの小説を気に入ってくれたようだ。いろんな見方が出来ると思うけど、男女平等も一つのテーマかも知れない。 私は、男と女はすべてが平等は思わないけど、やはり、フィフティ・フィフティであるべきだと思う。 そう言う考え方が理解できない人とはつきあえないだろう。 それぞれの役割があって、それぞれが尊重し合う、そんな事が必要だと思う。 それこそ、エッチだって一人では出来ないのだから。 でもホントは、ちょっと自分がイニシャティブをとりたいかな。 普段は自分がイニシャティブをとっていながら、大きな所では相手に任せることができる、そんな包容力のある男性が好きだ。 なかなかいるものではない事は、十分知っているが。 きっと、根本のところでは甘えん坊な私なのだ。 でも強引にエスコートされるのは好きではない。 年下はあまり好きになれない。好きになったこともない。 やっぱり、それなりの配慮がないと。 その点、年上はいい。今の私の歳で年上というと、それなりに経験してきた大人である。 たまに違う人もいるけど、一般にはそうだろう。 彼は、どうか? 子供っぽいところが全くないわけではないけど、彼は大人である。 今のところは大人である。 なんだか、だんだん彼女に溺れていく自分に気付く。一旦は押し戻した感情が、押し返されてくる。でも、まだ余裕はあるのだ。 20年も若ければ、怒濤のごとく押し切られていただろう。 今はもうそんな歳ではない。 例えば純粋に憧れ、何かの見返りを望むことなく、少し離れたところから見ていられればいい。間に他人が入ってきてもかまわない。そんな気持ちでいられる歳になったのだ。 そしていつの間にかすれ違っていくのだろう。意識的にそんなことをするつもりはないが、 やがてそんな日が来る、遅かれ早かれ。 彼女とすれ違ったと思ったのは、一夏の幻想だったかも知れない。夢から覚めた僕は、蝉の声が暑苦しい夏なのに、クーラーで冷えた部屋で、熱い珈琲を飲む。 いっそ、夢の中で溺れてしまえば良かったと思いながら... |