堺屋太一文[2004/05/23・Vol.01 豊臣秀長]





ある補佐役の生涯...


 豊臣秀長をご存じだろうか。太閤秀吉の実弟である。母は同じだが、父は違うというのが定説だが、年齢と時代から考察すると、同じ弥右衛門の子と堺屋太一は書く。生涯補佐役を目指した人だから、目立った功績がないかというとそうではない。ある意味、「このひと」がいなければ、秀吉は太閤にはなれなかったのではあるまいか。とかく下賤の身からはい上がった人だから、当初能力のある部下はいなかった。また、親族にも恵まれていなかった。能力のあるなしに関わらず、親族自体があまりいなかったようである。そんな秀吉をずっと支えてきたのが、大和大納言にまで上り詰めた秀長あった。
 この人は、もともと「小竹(こちく)」と言う。竹阿弥の子だった故、この名で呼ばれたとも言う。藤吉郎に口説かれ武士となった後は「小一郎」と名乗った。その後、上司の丹羽長秀をたてる意味から「秀長」と名乗る。この当時の姓も「丹羽」と「柴田」からとって。「羽柴」としているのは、上司への媚びと、ねたみを買わないための秀吉流の心遣いであろう。
 こんな風に書いていても、秀長より秀吉の話となってしまう。どうも秀吉の陰に隠れがちであるが、「この人」は戦に負けたことがないのである。また、調停役の政治家としても一流だったろう。確かに急成長している織田家に属していたからこそかもしれない。しかし、「この人」がいなければ、豊臣家の隆盛はあり得なかったと行っても過言ではないだろう。
 堺屋太一の文体は読みやすく、また現代の経済や時代に合わせた解説がありわかりやすい。元々ただの時代小説ではなく、その時代から現代に学ぶべくものを表現したいが為に小説の形態をとったのだろう。是非一度読んでみてはいかがだろうか。