まさに、そこには小説があった。と言うか、小説で読んだものは、作者の人生そのものであった。 僕の好きな3部作に『艶歌・海峡物語・旅の終わりに』があるが、これこそ若き日の五木青年の生き様である。 ハイタクジャーナルから、CM家業、そして作詞家へ。「日本盛は、よいお酒...」は今でも聞く気がするし、「旅の終りに」もたまにカラオケで聞くのである。 ちなみに「昭和53年11月、『望郷物語』作詞/五木寛之、作曲/立原 岬」と言う歌ものあるのだ。S53は1978年で「Let's Ondo Again」のレコードが発売された年でもある。しかし、五木さんが作曲もしていたとは、知らなかった... それから青年は、旧ソ連から北欧に掛けて旅に出るのである。船旅は何とも旅愁があるのだよねぇ。そして列車で、モスクワを後にしレニングラードへ、カレリアを越えてヘルシンキへ。 ここでは日記が紹介されているが、これもこのまま、彼の小説に結びつく。「さらばモスクワ愚連隊」「霧のカレリア」「青年は荒野をめざす」など、まさに枚挙にいとまがない。 1965年の夏の終わり、彼らはロシア・北欧からの旅から帰り、金沢での生活が始まるのである。ここからが小説家としての彼の人生の始まりでもある。「金沢望郷歌」「内灘婦人」「朱鷺の墓」など、挙げていたらキリがない。そして、このころの彼の生活に憧れるものがある。何とも懐かしいような、暖かいような... この本を読むと、五木さんの小説のおさらいをしているようで心地よい。 そして、1995年に30年前をふり返って書いたものだから良いのだろう。そこでは、ある意味おぼろげな記憶をたどることで、青春という一つの時代が生々しくない程度に、かといってセピア色ではなく描かれている。 それから10年たった今読み返しても、まったく色褪せてはいないのだ。まるで自分が同じ時代を共有したような気にさせてくれる。 今年「金沢 五木寛之文庫」もオープンした。「ブックマガジン」も創刊され、『老いて益々』と言ったら失礼かもしれないが、盛んな五木さんであった。 |
Data:僕はこうして作家になった(平成7年10月集英社刊) |
幻冬舎文庫「い-05-09」、平成17年9月30日発行 |
平成7年→1995年 |