この小説は、第56回の直木賞を受賞した。1967年のことである。 作者は、このころ35〜6歳ではなかったか。小説としては5作目で、金沢の小立野のアパートで書いてたはずだ。 小説のあらすじについては、もちろん書かない。筋を追っていって、最後の最後まで楽しめる作品だから、読んでご覧じろと言うところ。 さて、当の五木青年は(30代半ばだから、青年とは言わないか)、その日、香林坊の喫茶店《ローレンス》で、黒電話がなるのを待っていた。 もちろん、直木賞受賞の連絡をである。 きっと、小立野のアパートから兼六園なんぞを散歩し、尾山神社のギヤマンの門をぐるっと回り、裏通りの民芸の店を覗いてから、香林坊まで歩いたのではあるまいか。 まさか、横川の芝船小出へ行き、お気に入りの蕎麦棒なんぞを買って、囓りながら遠回りしたのではあるまいな。 それとも、浅野川沿いを歩き、常磐橋を渡り、ごり屋へよったかも知れない。 でも、誰しもこんな時、まっつぐに、待つ場所へなんて行けないものだ。五木さんにも、そんな可愛いころもあったのではあるまいか。 そんな金沢を思い起こしながら、再びこの小説を読んでみた。 初めに出てくる花田部長は、風の王国にも登場している。なんて書くとヘンだが、きっと小説家達は自分の頭の中に沢山の役者がいるのではないだろうか。その役者達が、登場人物として名前を変え、様々な役を演じてくれる。それを文字にして行くと小説になる。 まぁ、ホントのところはそんな単純なものではないのだろうが、「自分が書いたのではなく、神様か何かに、自分は書かされたのだ」という話もよく聞く。 私にも何かがとりついて、文章を書かせてくれないものか。 なんだか、とりついたのは、貧乏神か、疫病神か。でも、それほど悲嘆すべき人生でもないかな。 しかし、6月3日の日経新聞で、《「悲泣せよ」と親鸞説く-五木寛之さんに聞く-》と言う記事が出ていたが、たまには泣いてみるのもいいかも知れない。 《蒼ざめた馬》を見たら、違う意味で泣けるかも知れない... |
Data:蒼ざめた馬を見よ |
文春文庫「い-01-02」、昭和49年7月25日発行 |
昭和49年→1974年 |