西荻窪のレンタル・シップと言うビデオやさんへ行って来た。 思い描いてた場所と違ったが、すぐにわかった。 と言うより、通り沿いであったので、これでわからない方が「アホや!」と言う感じ。 さて内容はと言うと、ある意味136分の中に良くまとめられていたという感じと、ちょっと浅いなぁと言う感じが入り交じっていた。 会話などはかなり原作に近く、その点での違和感はなかった。 しかし、外道先生こと水沼隠士が鳴海望洋と同一人物ではいただけない。鳴海望洋は、つるっぱげのおじいちゃんとのイメージがあったので、鶴田浩二ちょっと違うかなと思ったが、やっぱり役者さんだね。それなりにいい味だしていた。 しかし、鶴田浩二と言うと「シャツの店」を思い出すなぁ... 一方、樋口可南子はかわいかったねぇ。まだ、ホントに若くて。伊藤孝雄は見たことがあったよ。最近は知らない人だけど。 他にも、佐藤慶・伊吹吾郎・殿山泰司・浜村純・大木実・伊藤雄之助・常田富士男など、脇役は結構固めていた感じ。 その中に岩城滉一もいたよ。まだまだ若くて、反町そっくり。 そして、ぴかいちと言うか、堅苦しくて暗い全体を和らげていたのが、谷沢康吉を演じた長門勇。こういう人がいるから、全体がまとまるのだね。 しかし、もっと炭管疑獄のところを掘り下げてほしかったよ。 この映画は1980年に制作されている。田中角栄が首相を退陣したのは1974年11月。昭和23年に炭管疑獄で田中角栄は逮捕・起訴され、求刑は懲役1年6月である。判決は、懲役6月・執行猶予2年となる。 これに対して検察が控訴したが、その結果は昭和26年東京高裁にて無罪と確定する。そしてその陰で動いていたものは、と言うのがこの小説の一つのテーマであったはずだ。 もう一つは、南米チリのアジェンデ政権の無血革命とその崩壊。 有名な、「サンチャゴは雨」である。 そして第3には、日本原住民であった海の民と山の民だ。天孫族に対して、まつろわぬ民。そして生き続ける非・国民の魂。 この三つのことが抜けてしまうと、この小説は骨抜きとしか言いようが無く、ただナチスの隠匿した美術品が博多で見つかったドキュメントで終わってしまう。 そう言う意味では、これがこの当時の邦画の限界なのだろうか。 それとも、演出・脚本の限界なのだろうか。 第一、物語の始まりは、「その年、四人のパブロが死んだ」で無ければならないのではあるまいか。 |