「なみだ壷」をご存じだろうか。上のブルーの変な形をした写真がそうである。口のところはハート形をしていて、そこに目を当てるのだ。涙をためるための壷と言うことになる。これは戦争の時に残された女達が、毎晩泣き暮らしてはこの壷に涙をためるものだという。その溜まった涙の量が多いほど哀しみも深く、愛も大きいというわけ。まぁ、実際にはイランあたりで涙を流しても、乾燥度が高くてすぐに乾いてしまうだろう。しかし、何ともステキな話じゃないか。そんな風に言われてみたいものだ。 さて、イランと言えばペルシャ絨毯が有名だ。他にも「胡」のつくものはペルシャ経由で伝わったものが多い。胡麻、胡瓜、胡椒、胡桃などがそうなのであろう。カーペットの話に戻ると、祇園祭の山車にはいろいろなカーペットが掛けられている。見方によっては俗悪とさえ言えそうな、豪壮な美意識のエネルギーだ。日本のお祭りに、しかも京都という日本を代表する古都でのお祭りにペルシャ絨毯が飾られているなんて、一見不思議な気がするのではあるまいか。 しかし、それこそが京都本来の国際性であり、進歩的な気質なのである。と、「日本人のこころ(1)」に書いてある。そして、僕は「祇園祭」に行ったこともなければ、「なみだ壷」の実物も見たことがない。み〜んな本の受け売りなのだ。しかし、この話がおもしろいと思ったのなら、「燃える秋」を読んでみてはいかがだろうか。 |
Data:燃える秋 |
角川文庫「い-07-01」、昭和56年6月20日発行 |
昭和56年→1981年 |