My Favorite[2008/01/06・Vol.10 Vocalist]




カバーアルバムが面白い。

 むかしはカバーアルバムなんて、当たり前だった。My Favorite Vol.01 尾崎紀代彦 だってカバーアルバムだ。当時はシングルは年に1枚か2枚、よっぽど売れたヒトでも3枚は珍しい。そんな時代にアルバムも年1〜2枚出すとなると、カバーしかないのである。アルバム自体、売れているヒトの特権でもあり、ますます売るためにはどんどん吹き込むしかなかったのだ。
 そんな時代が変わり始めたのは、フォークの台頭であるまいか。彼らはオリジナルにこだわった。テレビに出ることさえ、かたくなに固辞していたのである。そんな彼らにとって、ヒトの歌を唄うなんて、いやレコーディングするなんてあり得なかったのだ。しかし、彼らもだんだん売れてくると、他のヒトに楽曲を提供することが増えてくる。例えば、中島みゆきや来生たかおは、いろんな人に曲を書いている。大瀧詠一でさえ結構あるのだ。そして、ヒトに書いてあげた曲を自分でアルバムにしてしまうなんて事も始まったのである。中には自分で歌うのではなく、オムニバス的に自分が書いたいろんな人の歌を集めたアルバムもあった。そしてそれぞれのファンが(オリジナルのファンや歌手のファン)が新たな楽しみとしたのである。
 いわゆるスタンダードって言われる曲は、ある意味みんなカバーである。いい曲だからこそ残るのである。そして、また素晴らしい歌手が歌うのだ。音楽というものは、今は媒体に記憶されてはいるけれども、もともとはその演奏されているときだけのものである。楽譜があったとしても、演奏するヒトや楽器や会場や様々なものが変われば別のものなのだ。それこそがライブの醍醐味であり、そこに即興が入るからこそのJAZZであったのだ。不変と言われるスタンダードも、スタイルが変わることで楽しめる。これが、音楽が絵画や美術と異なる第一義であると思う。絵画等は、ある意味作者の手を放れたとしても、固有のものなのである。しかし、音楽はそうではない。それを演奏するヒトや楽器によって異なっていくのである。そう言う意味では、カバーは音楽の原点かも知れない。
 さてずいぶん前置きが長くなったが、徳永英明の『Vocalist』である。特に『Vocalist: 3』は女性の歌だけを唄っている。これがいいんだよね。もともと声の高い女性的な徳永。そして、選ばれた歌達。元の歌がいいから、カバーしてもいいんだよね。逆に本歌はいいのに、何でアンタがカバーするかねと言うアイドルもいるが。
 この『Vocalist: 3』に共感を覚えるのは、40代以降の方も多いのではあるまいか。というのは、懐かしい曲が多々あるのである。例えば、「桃色吐息」。これは、佐藤隆が作曲で橋真梨子が歌っていた。そう言えば、佐藤隆も「十六夜曲」と言うアルバムがあったっけ。「12番街のキャロル」なんて懐かしいよね。それから、「わかれうた」や「迷い道」。中島みゆきの「おかえりなさい」も人にあげた曲のアルバムだ。「元気を出して」は竹内まりあだけど、薬師丸ひろこも歌っていた。
 こんなふうに、いい歌は語り継がれていくのだろう。最後に、このCDをくれたヒト、ありがとう。





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