週間美術館[2004/01/04・Vol.01 Gogh]



光り輝く「私」を求める...

  さて2000年の2月に発刊された小学館の「週間美術館」と言う雑誌がある。第1巻は、『ゴッホ』である。全50巻+別館3冊である。もちろん、美術好きの私は全館持っている。持っているのであって、精通しているわけではない。と言うより、ホントのところ、半分も見ていないのだ。これを機会に見直してみようと思う。いっそのこと、1週間に1巻ずつHPに掲載してみてはどうだろう。発想はいいのであるが、とても続くとは思えない。なんと言っても、50週であり、別巻も含めれば、1年の大作となるのである。中には、もちろん初めて聞く名前の画家もいる。
 ここで『ゴッホ』を新たに書こうかと思ったが、ちょっと昔を振り返ってみよう。決して、手を抜いているわけではないよ!
 ここまでは、2004/01/04に書いた文章でである。これでは何の紹介にもならないので、継ぎ足すこととしよう。そう思い、週間美術館の創刊号『ゴッホ』を手に取った。表紙は、1889年の自画像だ。耳切事件の直後らしく、耳に包帯し、毛皮の帽子をかぶり、パイプをくわえている。バックは、下半分が赤で、上はオレンジ色である。ゴッホ自身は、緑のコートを着ている。こんな風に書くと、どんな彩色なのだろうと思うかもしれないが、それほど強烈ではない。もっとも、他の画家から比べればきつい色合いかもしれないが、バックが後年のゴッホ的筆遣いではないので、それほどでもないと感じるのだろう。
 ページを開くと、やはりゴッホの自画像と写真だ。ゴッホほど自画像を多く残した画家も珍しいのではあるまいか。2ページは『ひまわり』、隣は『アイリス』、それぞれ1889年・1889年制作である。そして、『ドービニーの庭』、『花咲くアーモンドの枝』と続く。ともに1890年のもので、死への不吉な影は見あたらない。しかし『ドービニーの庭』は、ゴッホの手紙の中で「全景に黒猫を描いた」と伝えられているが、この絵には見あたらない。いくつもの手に渡るうちに、消されてしまったらしい。この絵は昨年のゴッホ展での展示されていたが、何か明るすぎるような気がしたのは私だけであろうか。
 さて、ゴッホは1898年から1890年にかけて、驚くほど沢山の作品を制作している。そして、この期間こそゴッホがゴッホらしい、そう一般的に知られるゴッホ的な筆遣いと色合いなのだ。しかし、彼が画家を目指した1880年頃から1886年くらいまでの作品を知らない人も多いだろう。『開かれた聖書のある静物』は1885年、『古靴』は1886年、ヌエネン時代と呼ばれるこのころのゴッホの絵は、仕事や実生活に結びついたとても暗い絵が多い。それは、花と風車のオランダのイメージではなく、暗くよどんだ北欧の空のイメージだ。その後、「光り輝く私」を求めてアルルへ移り住む。そして、ゴーギャンとの同棲と破滅、耳切事件を経てゴッホの作風は大きく変わる。うねるような筆遣い、青と黄色の補色の競演、『カラスのいる麦畑』はなんと不気味な、不安な思いにさせられるのだろう。ソレは、求めた『光』に裏切られたゴッホの『死』の予感なのではあるまいか。